入力者 大坪寿子
昭和46年5月2日 特別奉修委員会
おー、真心を込めて、勢信心の表れとでも申しましょうか、あー、親先生が健康で、御用できられるようにという、願いを込めて、えー、ご祈念をしてくださいまして、ですから、その真心が、ね、うーんこれは、あたくしに、うーん、変わらなければならない。真心とは神様が喜んで頂く心だと。( ?)親先生が喜んで頂く心だと、こういうことなのですから、私自身、ところが、ほんとうにあのー、これはこちらの(???のが)治まったからでしょうけれども、皆さんがご祈念をしてくださって、まー毎週こうやって、してくださってることが、なにか、本当の信心の喜びになってこないのですよね。これは事実のところ。ですから、あー、おそらく皆さんにも、本当に、一週間一週間、こうやって(?おや先生の)のこと、一生懸命お願いさせてもろうて、しかもご祈念のあとの、まーいうなら、はよー、帰らなければならない。女としてはね。貴重な時間に、まー一時間でも、一時間半でも取って、で、ご祈念をなさると言う事が、あー、ほんとに、喜びをもって、帰られる事も、恐らくできられるのじゃないかと、あたくしにその喜びがないから、(そんな事照りかえってからじゃないかと?)いう思うんです。
今月は、(???)真心とは神様に喜んで頂く心と、いうんでござますから、まーほんとうに、あのー、こうしてご祈念が、親先生が喜んで頂く心と、喜んで頂くところまで、一つ工夫をしてみろう、あたくし自身のね、(???させた)真心を、ほんとに、いっぱいに、受けさせていただいて、私の心の喜びが、皆さんに持って帰られるほどしの、うー、受け方させていただかなきゃならない。まー、今日は、そんな事ばっかり、今朝からこれ、頂いておりますからね、考えさせていただいたんですけども、こりゃもう皆さんとしてもです、あのー、まー、まー一週間、こうやって、えー、(????)ご祈念をさせて頂いておられると言う事が、なんか特別の、だから、あの、喜びが受けられて帰れるというものでなからなかったら、これは、形式、形なってですね、もう、あのー、なんていうんですかね、それが、ほんとうに、よい物に育っていかないと思うんですよね。だからいつも、あー、こんなことでは、親先生が喜んで頂くだろうか、形の事は出来よるけれども、ほんと、喜んで頂く、なにものかがあるだろうかと。検討していかなきゃならんし、また、皆さんにあったとしても、こっちのあたくし、受け心の、受け、それを受けさせてもらうあたくし自信が、えー、(そだ??)であり、お粗末であり、信者が親先生のこと願うのは、まー当たり前と言ったような、横着な考え方が
あたしの心の中にもあるのじゃないだろうかと、もういちど、真心で検討させてもらわにゃならん。みなさんもまた一段とね、今月は、そういう、今月の焦点がそうなのですから、焦点をおいて、お互い、祈られ、祈り、祈られておる事がね、こんなに有難いことだと言う事が、感じれ、有難く頂いてかえればというような、あー、いわゆる、船にも車にも詰めぬほどしの、神徳。特別の、えー、いわば、ご祈念をなさっておられるのですから、(?? )頂かなければ、ただ親先生に対する、あ、いうなら、あー、うーん、まー顔だけてきなもの、でもないでしょうけれども、それだけであったら、あの(??)だと思いますよね、せっかくのものが、形だけになってしまいますから。皆さん、お互いに、えー、真心の追求をね、そんなことからでも、追及していきたいと思うとります、そうぞ。